〜視線の先にいたのは、誰だったのか?〜
■ 小学生の頃に感じた「違和感」
私は小学校低学年の頃、夏休みに家族とよくプールへ出かけていました。そこは、いくつものプールが並んだ大きな施設で、子どもたちに大人気の場所。でもその場所には、少し気になる“噂”がありました。
「ここで昔、亡くなった子がいるらしいよ」
誰が言い始めたのかはわかりません。ただ、子ども同士の間でもその話題が出ることがあり、私は毎回ちょっとした緊張感を持ってその施設を訪れていたのです。
■ 深いプールで感じた視線
ある日、比較的深いエリアで泳いでいたときのことでした。何かの気配を感じて、ふと顔を上げました。すると、少し離れた場所に、学生のような水着を着た高学年の女の子が立っていて、こちらをじっと見ていたのです。
その視線は、不思議なほどまっすぐで、どこか現実離れしたような…何かを伝えようとしているような…。知らないはずのその子と目が合った瞬間、私はなぜか強い“怖さ”とは違う、不気味さや違和感を覚えました。
その子は無言で、静かに、でもニヤッと笑いながら私を見つめ続けていました。
■ 潜っても逃げられなかった「視線」
私は怖くなって、水中に潜りながらその場を離れようとしました。でも、振り返るとその子もこちらに向かってゆっくりとついてくる。誰かに助けを求めようにも、まわりの人はその子に気づいていない様子でした。
結局、あるタイミングで視線が途切れた瞬間に、その子の姿は見えなくなっていました。まるで最初からいなかったかのように。
■ あれから30年――今でも思い出す「彼女の目」
あの出来事から30年以上経った今でも、私はときどき、あの女の子の視線を思い出します。「あれはいったい何だったのだろう?」と自分に問い続けています。
もしかすると、何か伝えたかった存在だったのかもしれません。あるいは、自分の中の不安や想像が生み出した幻だったのかもしれない。でも、たしかに「見た」「感じた」という体験は、私にとって現実でした。
■ スピリチュアル的に見ると…
こうした“誰にも気づかれない存在”や、“視線を感じる体験”は、スピリチュアルな観点から言うと、「エネルギー的な干渉」や「記憶に残る霊的存在との交差」と捉えられることもあります。
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成仏できずにメッセージを伝えようとする魂
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過去にその場にいた人の思念の残り
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感受性の強い子どもがキャッチした一瞬のエネルギー
さまざまな解釈がありますが、大切なのは「怖がりすぎないこと」と「自身の感覚を大切にすること」です。
■ 読者のみなさんへ
あなたにも、似たような「説明がつかないけれど、忘れられない体験」はありますか?
もしかしたらそれは、あなたの感性や直感が、“この世とあの世の間”にあるものに、ほんの一瞬だけ触れた瞬間だったのかもしれません。